「修行の旅」12月22日(水)石寺炭鉱



6軸テンダーを見慣れてしまうとなんとなく寸詰まりにみえる            


昨日夕方の渋滞は本当にすごいものだった、高
速道路が閉鎖になり大型車両が増えたのが原
因のようであった。今日は朝食後すぐに最寄の
インターまで行ってみたが、前々日から開通を待
っているというトラックドライバーが多くいた。なぜ
そこまで待たなければならないのか訊ねるとこの
先に峠がありいくら待ってもこちらのほうが早い
とのことだった。私達は小型車だし大丈夫だろう
と昨日と同じ道を引き返してゆくと同じように渋滞
しはじめたので、すかさずセンさんがチェーンを
買うと通常の倍の値段だそうだ。昨日2時間待っ
た場所を通過するとトラックが横転しているわ道
路の真ん中で何台のトレーラーが動かなくなって
いるわでこれが元凶であった。これを過ぎると何事もなかったかのごとく流れはじめた。



11:10鉄門の町に入ると標準軌の踏切にあた
り聞き込み開始すると先ほど炭鉱に向かって
蒸機が走っていったとのことで、早速その石
寺炭鉱までの道を走ってみる。ちなみに事前
情報としてカマの向きは炭鉱方向が正面向き
で方転設備は無いようだとのこと。国道から
石寺の標識を曲がり道なりに進むとオーバー
クロスが現れここがお手軽第一ポイント勾配
は炭鉱側へ登っている、上から反対側を見る
と高圧鉄塔がうるさいがSカーブが見えていて
ここもよさそうなので第二ポイント、しばらく線
路は道路から離れるが、おおむね道路が北
上しているのに対して線路は勾配緩和のため
山裾をW形に大迂回しさらに長いトンネルが
あることが分かった。
大分走ると掘割を通る線路に再び出会うとここにもオーバークロスがあり撮影できそうだが、
残念ながらおそらく正向きには逆勾配であろう。山中を過ぎると道路と町並みは平地に、線路
は東側?山裾にへばりつくように走るようになり途中に炭鉱の駅があった。自信は無いのだが
この辺りがすり鉢の底のような気がした。さらに先も同じように山裾を走り道路をオーバークロ
スして炭鉱のヤードへと到着する。この橋も良さそうだが勾配はというと???。である。

 街の規模はそこそこ大きく招待所クラスはあ
るとみた。ただ聞くところによると炭鉱の経営
が非常に悪化して現在では国の支援を受けて
成り立っているそうだ。ヤードは線路が6本程
度あり積み込み線には何も貨車はなく寂しい
状況で、午前中到着したと思われる空車15両
編成ともう1編成が止まっているだけだった。
街からヤードを右下に見る道路が奥にある机
務段まで続いているのでクルマで行くことがで
きる。机務段で早速情報収集を行う。

1.蒸機は全部QJで5両2291・3318(2両使用)2858(休車)2878・7204(入場中)

2.貨車の重さによるが重連もしくはPPによる運転である

3.その際炭鉱側からは途中のトンネルまでPPで一旦停車後解放する。

4.基本的に国鉄駅から貨車の到着通告を受けて炭鉱側に運ぶのが主体。

5.返しは炭鉱側に財源が無い場合単機(含む重単)で受け取りにゆく。

6.おおむね24時間で3往復程度の運転本数。

7.訪問時は地元炭の質が悪くてわざわざ別の場所から蒸機用の石炭を運んできていた。

8.机務段といわずに整備庫と呼ばれている。

9.正式名称は不明ながら南崗と石寺を結ぶことから南石線でいいんじゃないのと労働者。

その他気づいたこと

1.現物を見た3両はすべて4軸テンダーであった。

2.労働者は友好的である。

3.撮影は問題なし



 聞き取りと撮影を終えて駅の調度室へ行って今後の運転予定を仕入れるがまだ予定はない
が国鉄駅方向に出すかもしれないとのことだった。13時も過ぎていたので街中で昼食を食べた
後、Sカーブの第二ポイントに向かいこの先がどうなっているか探検することにしたが高速道路
の下をくぐると真直線で2キロくらいあり、今後の予定を考えるとこの先には行かないほうがい
いだろうとの結論がでて断念する。Sカーブ俯瞰場所に登りきると炭鉱側から重単が現れたの
で(15:27)急遽予定変更して国鉄駅を折返し1時間程度でやってくるだろう正向き列車を待つ
ことにした。ところが1時間経っても煙も見えず急に暗くなってきたので17時少し前に撤収した。
この鉄路でも課題を残してしまった。

 真っ暗の道をひたすら東へ進む洛陽という都市を過ぎてから峠があった。今朝あったトラック
ドライバー達はこのことを言っていたのだ、確かにチェーンなしでは勿論通行不能でトラックも
少なく彼らが嫌がるのも分かる。山を降りると国道と思えないくらい道路と商店や住宅が近い
地区を過ぎ「そろそろ食堂が閉まっちゃうよ」の声に先を急ぎたいセンさんもようやく停車し、ま
ずパン屋で買出しのあとイスラム料理の店に入って遅い夕食となる。現義の街を後にしたのは
22時を回っていた。

 私は時間も時間なので現義から100キロほどにある河南省の省都鄭州で泊まりたいと言って
おいたのだが、何かの間違えで超高級ホテルの入り口まできて門番に「ここは星いくつ」と聞い
たら「江沢民が泊まったところだよ」と言われて次の街までまた走るはめになってしまった。

 結局鄭州から北約100キロの新郷の賓館に着いたのは午前2時少し前だった。私達は寝て
いるだけだったのでいいのだが運転しているセンさんは大変だったと思う。お疲れ様。







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