集通鉄路巡礼の旅 02月14日(土) No2



04,02,14 平安地站  現地時間14:00頃   


 追いかけは年始のO谷ツアーの時と同じパターンで行くと最初から通告を受けていたのでそ
れに従う。場所も知らないし追いかけではロケハンどころではな
いから仕方がない。R303は途中会開魯県に入るぐらいまで整
備状態が悪く穴だらけである。そんなことは関係なく相変わらず
熟睡態勢に入っている某氏の姿をまたもや現認してしまう。(段
長注:職場でも昼間から良く寝ているから仕方ない気もするが
…>^_^<)途中荒野に忽然と巨大な建造物が現れるが科尓沁油
田と国道に看板がでていた。線路から近そうなので集通線とも
接続していて産業用機関車は必ずいるはずだ。モノがモノだけ
に工場構内は蒸機ではなさそうだが…。線路とはつかず離れ
ずに進むが予想に反して東行に対して勾配がかかっている区
間が多いのに驚く。
平安地站で砂嵐のなか世界的にも珍しくなった(…と言うか
世界的にもここでしか見られなくなった)長大編成定期客レ
の西行と東行の客車どうしの交換を撮影する。まず中線に
西行が到着し、その後東行がホームのある線に入る。これ
が所定らしい。実際その通りであった(1400〜1412?)。この
駅に国道から入るときに場所がわからず苦労したが戻る時
にはいとも簡単に林の中の霊園を通り国道に出て(段長注:
平安地站へのアクセス道路は国道692,4キロポスから入
る。途中はまさに舗装されていない多摩霊園の中にいるよう
だった)、開魯站の停車時間を利用して最後の撮影となる金
家店へ向かう。ここではTGVもどきの快客と交換だ。当然に
蒸機が先着して「もどき」が砂を巻き上げながら通過したあ
と、これまた凄まじい横風を受けながら発車を撮影する。日
本では風規制がかかって抑止であろう(1515〜1521)。

撮影後は通了に直行し9日間、実によくやってくれた運転手に皆で挨拶し、「ご苦労サン!通
了で色遊びをして赤峰に帰りなヨ」とチップを渡す。駅舎に入って軟席待合室でしばし待機。旅
行前の事前打ち合わせでは軟臥を8人分2部屋まとめて取るような手はずであった。しかし実
際には軟臥は4人しか取れてなく、その上バラバラで、残りは当然硬臥でこれもバラバラの切
符しか取れていなかった。「話しが違うじぁないか!」本来、赤峰旅行社の李さんに抗議しなくて
はならないのに、エキサイトしてハスチョロさんに不満をぶつけてしまい、後で冷静になって猛
反省!
                                                                                                                        
発車後、ハスチョロさんが直接車掌(ウイグル族の美人)に交
渉してくれたが、まだ旧正月の余波で列車内は大混雑しており
すったもんだの上、やっと4人は軟臥一部屋にまとまる事がで
きた。7人分の機材と荷物が詰め込まれた室内は硬臥よりも
悲惨だったかも。さらに繁忙期のため食堂車の席まで売ってし
まったため営業できないとのことで、狭い軟臥室内に8人が文
字通り肩を寄せ合い車内販売のぶっかけ弁当をツマミに白酒
をいただき、車内での移動のゴタゴタによる疲れを忘れて遅く
まで総括会議を行った。(段長注:早寝の私は21時頃には寝
てしまいましたが、最近の硬臥は乗り心地も良く、更にシーツ
類も清潔になっており大変快適で疲れと酔いですぐ寝つき、翌
日気がついたら外は明るくなっていた。)
右上:客レをバックに記念写真
左下:平安地站の駅舎
右下:ウイグル族だという美人車掌。なかなか献身的な服務でどこかの鉄道会社の車掌のように携帯メールなんか
   していなかった。


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